人はどんな時に「学び」を体験するのか

前回の記事では、真の学びを得るために「自分ログ」を書くことをおすすめしました。

真の学びを得るためにはどうしたらよいか

ところで、なぜ人は、自分のことを自分のこととして認識できないのでしょうか。

これまで生徒と面接した際に、生徒の日常生活を聞き出してあがってきたことを以下のようにまとめてみました。

① 良い子だから・・・・・・・言われたことを、ひたすら指示に従って「無心に」実践する

② 従って他人事だから・・・・言われたことをやる=忠実に指示に従う=自分の工夫はない

③ 興味優先だから・・・・・・興味以外のやるべきもことは二の次。即ち興味に不都合なものの排除

④ 結果しか興味がないから・・技術的な完成が関心事項=自分の技術向上のみが目的

これらの問題を複数を抱えている人もいました。

これらの中にある共通した本質はなんだと思いますか?

それは、自分の関心事のみを優先していることです。

人はどんな時に「学び」を体験するのでしょうか?

それは自分と他とのせめぎ合いを体験した時です。

自分と異なる他者(それは人とは限りません)によって、自分の行動や生活が制限されたり規定されることになった場合、人は現状を超える更に上の次元での対策を必要とします。

他者を自分の都合の良い様にコントロールすることはできません。

当然、自分の方向性との間にズレが生じます。

このギャップが自分にとってのストレスになり、悩みになり、自分の思いや期待が通らない不安感にイライラが募ります。

このことを「葛藤」と言います。

「人は褒めて伸ばせ」とよく言われます。

確かに言い得ているでしょう。

ただ事実として、人が体験するのは褒めてもらうことだけではありません。

葛藤が生じるような、自己が否定される体験も日常的に起こります。

褒められることだけしか体験していない人(したがらない人)は、世の中の真実の半分しか認めることができないでしょう。

いつまでたっても、いくつになっても、葛藤に対する免疫ができていないからです。

褒めてもらって伸びることがあるのと同じくらい、辛い思いから学ぶこともあります。

辛い思いからでしか学べない真実もあるのです。

他との関係から自分の都合との間にギャップが生まれ、葛藤が生じ、悩みや苦しみにもがく日々を送りながら何とか抜け道を探る、という人生の学習活動を通して一つの学びを得ることができます。

そのようにして、私たちは少しずつ、一回りずつ成長するものです。

“部活があるから勉強の時間がない”とか、“隙間時間の活用”などという言い訳で部活と勉強の両立から逃げているようでは自分に甘えた生活です。

両立は難しい課題です。

だからこそ自分自身で悩み、もがいてください。

人には、「ジタバタする泥臭さ」が絶対必要なのです。

『日々の記録』(自分ログ)は、そんな一つ一つを自分が自分自身のために書き残す、その時々の自分の歩む道の「一里塚」となります。

自分で自分を記述できるよう、自分ログを書きながら成長していきましょう。

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