「主体性」というものは、いつの時代も、どの年代においても課題です。
それこそ、大人になってからでも、企業における社員教育でも必ず話題になるテーマです。
「7つの習慣」でも、第1の習慣は「主体的である」となっています。
「主体的である」が1番最初に来ているのは、それが最も大切であり、なおかつ難しいことだからです。
このあたりは、「嫌われる勇気」で有名なアドラー心理学にも通じるものがありますね。
今の子どもたちを見ていると、早期教育がどんどん低年齢化しています。
中学受験でも問題だと思うのに、幼稚園受験や小学校受験も増えてきています。
これらのほとんどは「親の意向」であり、子どもの主体性で成り立っているものではありません。
主体性とは対極の環境です。
子どもの頃から親の意向で育ち、親の顔色をうかがいながら成長していく子どもたち。
私が以前勤務していた高校でも、親の考えと自分の思いの狭間で苦しんでいる生徒がたくさんいました。
子どもたちは素直で良い子なので、親の期待に応えようとするからこそ、苦しんでいるのだと思います。
不登校の増加は、そんなところにも原因があるのではないでしょうか。
では、主体性を育てるにはどうしたら良いのでしょうか。
幼少期にはもっと自由に遊ぶべきだというのが私の考えです。
好きなもの、夢中になれるものをとことん追求することです。
好きなものに夢中になっているとき、人は自然と主体的になっています。
そういった経験をとおして主体的に生きる力が育まれるのではないでしょうか。
遊びの中にもたくさんの学びがあります。
生活体験の中にも、算数や数学があります。
今の子どもたちはそういった生活体験が少なく、バーチャルな体験や机上の学習ばかりしているのでしょう。
だから、いざ学校で勉強がはじまったときに、生活との関連付けができないのかもしれません。
早期教育で「学ばされる」ことによって、学ぶことが苦痛になってしまっているのかもしれません。
学ぶことの楽しさを体験できていないのですね。
だから、学校の勉強に対するモチベーションがもてないのかもしれません。
小学生までの心が育つ大切な時期に、受験のために心を閉ざしてしまっている子どもたちも多いのではないでしょうか。
だから、自己肯定感が低く、将来に希望を持てない子どもたちが増えているのだと思います。
幼少期にはおおいに遊ぶべし!
これが私の考えです。
もっとも、遊びが大切だというのは、大人も同様です。
いずれは遊びのイベントも企画したいですね。