「主体的である」とは

当塾では毎月1回、保護者向けの勉強会を開催しています。

「7つの習慣」の書籍を読みながら、感じたことや考えたことをシェアしていくという読書会形式の勉強会です。

先日の勉強会は、「第1の習慣:主体的である」の部分を読みながらの読書会でした。

ところで、そもそも主体的であるとはどういうことなのでしょうか。

文部科学省の学習指導要領においても、「主体的な学び」とあります。

同じ言葉を使っていても、その言葉の定義が異なっていると議論がかみ合わないことが多々あります。

そこで、まずは「主体的」とはどんなことを意味するのか考えてみましょう。

書籍「7つの習慣」の中では、次のように書かれています。

「主体性とは、自発的に率先して行動することだけを意味するのではない。

自分の人生に責任を引き受けることも意味する。」

これは、「自分の行動に責任を持ち、状況や条件付けのせいにしない」ということです。

私たちは起きる出来事をまわりや他人のせいにしがちです。

そしてつい愚痴を言ってしまいます。

でも、その反応は自分で選んでいる行動であり、その行動も自分に責任があるということです。

すべて自分で選択しているということです。

こんな風にも書かれています。

「私たちは、自分の身に起こったことで傷つくのではない。

その出来事に対する自分の反応によって傷つくのである。」

大切なのは、人生で体験することにどう反応するかであり、それは自分で選べるということです。

子どもの主体性を引き出すために、私たちは間接的にしかコントロールできません。

子どもの主体性を引き出そうと子どもをコントロールしようとすると、それは逆に主体性を奪うことになるというジレンマがあります。

主体性を育むのは、それほど難しいことなのです。

ですから、子どもに主体的になってもらいたいというのであれば、まずは自分が主体的になる必要があります。

子どもの主体性を引き出すために、自分はコントロールしないという決意です。

そこには忍耐が必要です。

主体性は本人に責任があるので、本人が責任を自覚するような経験が必要です。

ところが、今は子どもが失敗しないようにまわりの大人がお膳立てしてしまっている傾向があります。

失敗の経験もなく、怒られた経験もないから、打たれ弱い子どもが多くなっているような気がします。

まずは、人の主体性をどうこう言う前に、自分が主体的になることです。

それは、すべて自分に責任があるということを自覚することです。

起きた出来事や他人の弱点・欠点はあくまでも自分の外にある問題です。

それは自分の子どもであってもです。

それを批判的に見るのではなく、それに対して自分がどう反応し行動するかが大切なのです。

それが主体的であるということです。

とても難しい問題ですが、だからこそ昔から課題になっているのだと思います。

今回の勉強会で、保護者の方はある決意をしてくれました。

自分で決めたことを守る・・・これも主体的であるということです。

あなたは何を決意し、実行しますか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です