学んでいるのに学んでいない生徒たち

卒業シーズンですね。

あちらこちらで卒業式帰りの学生を見かけます。

彼らは学校生活の中で、どんなことを「学んで」卒業していくのでしょうか。

3年生の面接練習をすると、以下のようなやり取りが少なからず起こります。

私 :君は○○部に高校3年間在籍していたけれど、部活を通して学んだことは何ですか?

生徒:(・・・・・;しばらく考えて) あきらめないことです。

私 :学んだことが「あきらめないこと」なんですね。

何をあきらめないことなんですか?

生徒:目標に向かって努力することです。

私 :そのためには、何が必要だと気付きましたか?

生徒:・・・・・・・・・・;(回答不能)

私 :では、「あきらめないこと」を、もう少し詳しく具体的に話してください。

生徒:あきらめず練習を続ければ必ず結果が現れるということです。

私 :そのようなことを“あなたが”確信した具体的な事例はどんなものですか?

生徒:(・・・・・またまたしばらく考えて)

試合でちゃんと動けないことがありました。

次の日から毎朝朝練を始めました。

徐々にできるようになり、次の試合ではきちんと動けるようになりました。

私 :毎日、朝早く来て練習をしたのですか? 休みなく?

生徒:はい。

私 :途中で嫌になったり、面倒くさくなってやめたいと思わなかったのですか?

生徒:(・・・・・) ありません。

私 :何故あなたは毎日毎朝繰り返し繰り返し続けられたのですか?

生徒:(・・・・・) 試合で動けなかった自分が原因でチームが不利になり、とても申し訳ない気持ちになって、それが悔しかったからです。

私 :あなたと同じような状況にあっても、あなたのように毎朝早く来てまで自主練をすることがない人もいますが、そんな人とあなたとは何が違うと思いますか?

生徒:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (回答不能)

私 :では、やらない人は、あなたから見て何が足りないと思いますか?

生徒:“やる気”?、ですか・・・。

私 :では、人がやる気になるには何が必要ですか?

またやらない人には何が足らないと思いますか?

生徒:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(回答不能)

私 :あなたは“自分の問題”や“覚悟”という言葉を知っていますか?

生徒:はい。

私 :では、今この状況でこの言葉を使って“やる気”について説明してください。

生徒:やる気になれない人は、失敗してもそれを“自分の問題”として受け止めていない人で、だから最後までできるようになるという、“覚悟”がない人、だと思います。

私 :では、もう一度聞きます。“あきらめないこと、目標に向かって努力し続ける”ために何が必要ですか?

生徒:“自分が何か失敗したら、それを自分の問題として受け止め、覚悟をもって最後まで努力すること”だと思います。

私 :そうするとどうなるのですか?

生徒:必ず結果に現れます。

私 :では最初の質問戻ります。あなたが高校3年間、部活を通して学んだことは何ですか?ただし、“あきらめないこと”という言葉は使ってはいけません。

生徒:自分が何か失敗したら、それを自分の問題として受け止め、覚悟をもって最後まで努力すること。そうすれば必ず結果が現れる、ということです。

これは何を意味しているのでしょうか。

それは、貴重な体験をしていながら、まったくそのことを理解していないということです。

仏教経典に、釈迦の言葉を短い詩編のようにまとめた『法句経』の中にこんな一説があります。

「よき師に終身学びて学ばざるあり、匙(さじ)の汁に浸って風味(あじ)を知らざるに似たり (64句)」

“良い師匠に巡り合い、生涯学ぶ機会を得ながら、実は何も学べていない人がいる。

それはまるで、美味しい汁に浸っていながらその味を理解できていない匙のようなものだね”

(出典:『法句教入門』:松原泰道(昭和49年)NON BOOK 小学館)

「あきらめないこと」などという“誰もが一般的に常識であると認識している単なる単語”しか言葉にできないのが、今の生徒の実態です。

これはまさに、自分という“よき師”の、現実の体験という“学び”を経験していながら、そこからまったく何も学んでいないことを意味しています。

こちらで“誘導尋問”のようにしないと、それらしい回答すら自分からは答えらないのが現状です。

生徒の多くは、部活動やさまざまな日常生活の中で間違いなく貴重な体験をしています。

にもかかわらず、それをきちんと自分のものとして認識していないのです。

学ぶという行為そのものが目的となっていて、学ぶことによって得たことを人生にどう活かしていくのかというところまで意識が及んでいません。

体験として「学ぶ」だけでなく、自分ごととして習得し実践できて初めて「真の学び」となるのではないでしょうか。

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