アクティブだけどラーニングじゃない?

アクティブラーニングが話題になってから久しく経ちます。

ウィキペディアによると、アクティブ・ラーニングとは「学習者が能動的に学習に取り組む学習法の総称」とのことです。

これを見て思ったのは、本来、学習活動は学習者が能動的に取り組むものなのではないか、ということです。

ですから、わざわざアクティブラーニングを唄うところに、根本的な問題があるのではないでしょうか。

 

裏を返せば、学習活動が能動的ではなくなっているということですね。

これは、前回の「宿題は本当に必要か」という記事の内容とも共通点があります。

つまり、多くの生徒が受動的であるということです。

 

それはもちろん、今までの多くの授業がティーチングであったというところにも原因はあるかもしれません。

ですから、学習方法を改善しようという動きは望ましいことです。

でも、だからといって何がなんでもアクティブラーニングを取り入れればいいというものではありません。

正確に言えば「アクティブラーニング的手法」ですね。

現在実践されている、いわゆる「アクティブラーニング」と呼ばれるものを見てみると、その多くは「やり方」に注視しているように感じます。

生徒が「アクティブ」に活動したことで満足して、その先の生徒の「ラーニング」まで考えが及んでいないように思えるのです。

一見アクティブで盛り上がっているように見えますが、そこから生徒が何を学んでいるのかが見えてこないのです。

よくある「手段」と「目的」を履き違えてしまっている状態です。

本来は、生徒にこのような学びをしてもらいたいという「目的」があり、そのためにアクティブラーニングという「手段」が有効だから使う、というのが筋です。

ところが、今の現場の状況をみていると、まず「アクティブラーニング」ありきで、「アクティブラーニング」という手法を使うためにどうしたらよいか考えているように思います。

そこには目的が存在しないので、なんとなく授業が盛り上がって終わるという感じです。

生徒は楽しくて満足、教育者すらその状況を見て満足している様子です。

結局生徒は「アクティブラーニング」という学習活動をやらされているだけで、生徒が能動的に学習に取り組んでいるとは思えないのです。

 

何も、すべてのアクティブラーニング的手法を否定しているわけではありません。

ただ、何が何でもアクティブラーニング的手法を取り入れろというような風潮はいかがなものかと思っているだけです。

アクティブ・ラーニングの本来の意味、「学習者が能動的に学習に取り組む」ことができれば、それはどんな授業形態でもアクティブ・ラーニングといえるのではないでしょうか。

大切なのは、どんな授業だろうと主体的に学習に取り組む生徒自身の姿勢だと思います。

 

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